Prudens Futuri

「たとえ外見に現れることがなかろうとも、成功のきらめきではなく、誠実な努力と義務への献身が人生の価値を決定する」ヘルムート・フォン・モルトケ

【現代戦略思想の系譜】 「1章 マキャヴェリ ◉戦争術のルネッサンス」

ピーター・パレット編『現代戦略思想の系譜』

「第1章マキャヴェリ◉戦争術のルネッサンス」(フェリックス・ギルバート)の要約です。

 

 

序 マキャヴェリの軍事的思索の意義

「イタリア諸国家の軍事機構が変革を必要としている」という確信

 マキャヴェリは『君主論』の中で、彼の時代にとって、新たな軍事機構や新しい戦争のやり方が最も緊急であり、かつ最も基本的な要請であることを表明している。
 マキャヴェリは通常、政治思想の発展に新しい時代―近代―を開いた人物と見なされている。しかし、当時のイタリア諸国家の軍事機構が変革を必要としている、という彼の確信こそ、政治の世界についての彼のあらゆる思索の推進力であり、核心をなす関心事であった。

Ⅰ 時代背景ー騎士の没落と傭兵軍隊

 中世の軍事組織

 かつて、中世の軍事組織は中世社会の不可欠な一部をなしていた。
 戦争を正義を貫く行為と見なす宗教的概念、軍務を封土を持つ騎士階級とその臣下に限ったこと、それに軍隊を結束させる主な絆の役割を果たした道徳的・法的慣例などが、中世における軍事組織の方式と戦争方法を決定する要素となっていた。

 中世の変化

 この軍事組織は中世期の社会システム全体の典型的な産物であり、その変化は軍事的分野に影響を及ぼした。
 特に、貨幣経済の急激な発達が軍事機構に多大な影響を及ぼした。
 新しい経済的発展の主役となった都市や富裕な君主は、軍務のかわりに金銭の支払いを受け取り、他方では金銭の報酬と俸給の支払いで軍務を確保することができた。
 君主は軍事的義務を果たすことを欲しない人々から金銭の支払いを受け、他方では定期的な俸給を約束することにより、騎士を戦争が終わった後も長い期間、軍隊にとどめておくことが出来るようになった。

 職業的常備軍と職業的傭兵へ

 このようにして君主は、職業的な常備軍の基礎を固め、その家臣への依存から免れることが出来た。
 封建的軍隊から職業的軍隊に、封建国家から官僚制・絶対主義国家への移行はきわめて緩徐に進行し、ようやく十八世紀に頂点に達した。
 この時代に大きな資金力を持っていたイタリアの諸都市は、職業的傭兵に依存するようになっていた。

 新兵器と新戦闘方式の導入

 貨幣経済の影響は、軍隊の募集に幅広い機会を提供し、新しい階層の人々を軍隊に引き付けた結果、新兵器新戦闘方式を導入し発展させることが可能になった。百年戦争における弓兵隊と歩兵隊の出現である。(モラット・ナンシーの戦い
 小火器と大砲はこれらの発展をさらに速めることに寄与し、君主の家臣に対する地位を強化し、攻撃側が非常に軍事的優位に立つこととなった。

 経済的利益の追求と道徳的問題

 このような軍隊の構成と軍事技術の変化はまた、軍事組織の精神をも変化させ、軍務の目的はただ経済的利益の追求になった。
 その道徳上の問題から、イタリアのようにヨーロッパの中で最も文明の進んだ国では、人々は軍人や兵役を軽蔑するようになった。

Ⅱ マキャヴェリの体験と個性

 政治への関与

 マキャヴェリが同時代の状況と問題に気づく上で、彼の個人生活を巡る環境が決定的役割を果たした。マキャヴェリは1498年から1512年までフィレンツェ共和国の重要な政治に携わった。その理由は、終身市政府長官ピエロ・ソデリーニとの密接な結びつきがあったからである。

 卓越した性格―責任感、感情、分析力

 しかし、それだけでなくマキャヴェリ卓越した性格の持ち主であり、彼の活動範囲と責任とが並みの役人の域を越えていた。彼はその絵画で表現されたような合理性知性の権化だったわけではなく、時に感情的にもなり得たし、激情のおもむくままに、あらゆる慎重さをなげうつ場合もあった。
 当時の政治家たちは、同時代の状況についてのマキャヴェリ分析力に魅惑されていた。また彼はその他多くの役割を果たして彼らに尽くした。
 そのような背景を通じて、彼は決定する権限と権力を有する人びとに対して、対等の意識を持つと同時に、従者として局外的な立場をとることを身につけていた。同時代において、彼と同レベルの洞察力で現状認識と理想追求の関連で事象を捉えようとする者はほとんどいなかった。

 傭兵隊長への依存に対する疑念と新しいタイプの軍事統率者の必要性

 マキャヴェリの行政庁での役割の一つは、戦争と軍事問題を担当する十人委員会の書記官として、ピサの奪回というフィレンツェの試みに直接携わることとなった。この時、傭兵隊長の軍務に依存することの効果に対する疑念が深まったことは間違いない。
 また、チェーザレ・ボルジアのところへ派遣された際に、彼が偉大な将帥の持つべき資質、つまり野心、つねに最高指揮権を要求する執拗さ、ち密な計画を作成する能力、秘密性、決断力、行動の迅速性、必要であれば無慈悲な行動をとる冷酷さなどを備えた人物のように思われた。彼との遭遇は、マキャヴェリ新しいタイプの軍事統率者の必要性を十分に認識させた。

 傭兵軍への疑問と市民軍の創設

 マキャヴェリの軍事問題に関する考え方を公的な面で反映した最も重要なものは、一五〇五年一二月のフィレンツェ市民軍創設の法令である。彼の考えでは、共和国の基礎は「正義と力」であり、傭兵軍の効用に疑問を呈した。彼の最終目標は、フィレンツェ市民、領土内の町民と田園地方の人々からなり、統一指揮される軍隊を編成することであった。
 彼は、徴募軍がフィレンツェ外交問題についてより、大きな独立性と国内状況の安定化という重大な結果をもたらすであろうと期待した。マキャヴェリは、傭兵あるいは外国の軍隊に依存すると必ずや行動の自由が制限され、他の国の力に頼ってしまうことを、これまでのいくつかの外交任務の体験から学んでいた。

 市民軍の指揮と戦争の新しい時代の幕開け

 マキャヴェリは、ピサ攻囲戦の最終段階でピサ正面に使用された各種の市民軍中核の指揮を実際にとった。そしてピサ市の降伏は彼の軍事思想の正当性を強く確信させるものであった。
 著書『フィレンツェ史』の中で、彼は傭兵隊長によって戦われた戦闘を好んで著述し、もっぱら軽蔑的、嘲笑的な書き方であったが、彼の目的は歴史的事実を述べることではなく、同時代の人々に対して、戦争の新しい時代が開かれたことを明らかにすることであった。

Ⅲ マキャヴェリの軍事思想

 「新しい」戦争の法則としてのローマ軍 

 マキャヴェリは『君主論』の中で、新しい戦争の法則を導入した新しい支配者が名声を得るだろう』と保証した。
 問題は「新」という言葉である。進歩的思想が根付く近代以前において、ルネッサンス時代の人文主義者たちにとっては、原初の状況―古典的な時代に存在していた完全な世界―が理想的水準とされた。
 人文主義的な教育を受けたマキャヴェリが、イタリアに導入し実現させたかった「新しい」戦争の法則は、ローマ軍事社会の「古い」法則であった。彼の目的は歴史的に正しい事実の再構築ではなく、ローマの軍事史の背景にある法則や原則を演繹しようと望み、それが彼の時代に当てはまることを示そうとした。彼は特定の事件、個々の行動の背景をなす一般原則を発見しようとする着実な努力を積み重ねていくうちに、戦争と軍事社会という基本的な問題にまで迫っていったのである。

 『戦術論』

 唯一生存中に出版された『戦術論』について、マキャヴェリは、当時の民衆に影響を与えようとして書いたと思われる。彼がこの本の中で、ローマ軍の中核である歩兵の重要性を指摘するのは、暗に当時の軍隊の中核が重装騎兵からなっていた傭兵隊長の部隊を批判し、これを拒否するものであった。
 『戦術論』は武器、行進序列、指揮系統、築城のような軍事組織の技術面にかかわるものであるが、戦闘について述べた部分は、戦争に必要な人間的資質、つまり勇気、服従、情熱、獰猛さを集中的に取り上げている。
 戦争についてマキャヴェリの思想を研究しようとする場合には、『君主論』や『政略論』をあわせて研究する必要がある。 

 戦争の本質

 マキャヴェリは平和が望ましいことについては何も書いておらず、戦争は避けられないもの、崇高なもの、および恐ろしい力として表現されている。これらの作品の中では、世界は絶えず変化しているようにみえることから、彼は、人間はまったく運命の女神の中にあるとする当時の普及していた信仰心を持っていない。
 国やその支配者たちが領土を拡張し征服したいと欲するのは全く当然であり、戦争は政治生活の最も本質的な活動である。闘争と不確実性が連続して存在することが戦争の本性や方法を決定づけるため、戦争は「短く猛烈」でなければならない。迅速な決着は戦闘によってのみ達成し得るため、敵が劣勢でも十分な部隊を用いるべきである。この時、軍事作戦は計画され調整されたものでなければならないため、指揮権は一人に任せることが必要である。

 残忍な戦争の両義的影響

 マキャヴェリは「短く猛烈」な戦争に、軍人が情熱をもって取り組むことを要求し、それが残酷な戦争になることを十分に認識していた。
 彼はその残忍性が両義的な影響を与えると考えていた。それは危険性可能性である。危険性とは、激戦の中で兵士たちが命令に従うことなく、ただ自分が助かりたいと思うことにあった。
 その一方で、規律と訓練の重要性は何度も強調されている。賢い指導者は訓練の必要性をつねに考え、戦時と同様に平時においても訓練の必要性を主張すべきであるとした。それだけでなく、服従過酷な罰の恐怖によって補強されなければならない。
 一方で、英雄的行為を鼓舞する精神的結束を軍隊の兵士たちの間に作り上げなければならない。勇気と熱情を最も強く鼓舞するのは、個人的な参加意識と道徳的義務感であり、戦争への奉仕は宗教的義務の遂行と見なされなければならない。
 彼は、”祖国”のために自己の生命を犠牲にすることを、聖人の殉教になぞらえてきた。しかしながら、愛国的情熱は祖国のために戦う兵士たちによって構成される軍隊にのみ期待し得るものである。

 国家固有の軍隊の必要性

 マキャヴェリが、その著書すべてで強調している最も基本的なテーゼは、支配者あるいは共和国の軍隊は、その軍隊が防衛することを期待される国家の住民によって構成されなければならない、とすることであった。
 彼が描いた軍事改革の最初の段階は、国家が”固有の軍隊”を持つことであった。一方で彼は、市民たちが住んでいる社会に満足している場合にのみ、彼らの支配者あるいは政府のために喜んで戦い、死ねることを確信していた。 
 政治機構と軍事機構との間には密接な関連と相互関係があるとするこの命題は彼の概念の中で最も重要であり、そしてまた最も革新的な論点である。

Ⅳ マキャヴェリの影響と現代的意義

 マキャヴェリの後世への影響

 マキャヴェリの『戦術論』は大当たりし、19世紀近くまで影響を与えてきた。
 軍事思想家としてのマキャヴェリに対する関心は、名声によるものだけでない。
 『戦術論』の提案のいくつか―訓練、規律、選別に関する提言―が、軍隊が極めて多様な社会階層出身の職業軍人によって構成されるようになってきた近代初期のヨーロッパにおいて、その実際的重要性が増してきたからであった。一方で、その進歩がマキャヴェリの影響によるものだったわけではなく、その時代の軍事革新者が、自らのやり方を正当化する著作を発見して喜んでいたのだった。

 マキャヴェリの誤り

 しかし、いくつかの点でマキャヴェリが彼の時代において可能な事、実行できることについて誤っていたことも認めざるをえない。
 徴兵国民軍についての彼の考え方は都市国家市民軍の考え方であり、広い領土の国家の軍隊にはほとんど適合しない。
 また、マキャヴェリ以降2~3世紀は彼が軽蔑した傭兵、職業軍人の時代であった。
 マキャヴェリがその重要性の判断を誤った小火器による武装と火砲の役割の増大によって、専門化された兵士と軍隊の常備編成が軍隊の必要な核心となった。彼は経済と軍事力との相互関係を十分に計算にいれていなかった。

 マキャヴェリの戦争に対する優れた洞察

 しかし、彼のローマへの賞賛は近代における戦争の役割に対して彼の目を開かせるうえで重要な役割を果たした。
 マキャヴェリが古代世界の研究から得た最初の、しかも重要な教訓は、国家防衛は特権を有する特殊な集団の任務ではなくて、その社会に住む人々すべてにとって関係ある重要な事柄でなければならない、ということであった。またローマ史の研究を通じて、彼の時代の国家システムを理解し、近代国家システムの競争的本質を把握したことはより重要であった。
 マキャヴェリの全ての著作の中で展開されている命題の一つは、国家の生命は優れた軍隊に依存するので、政治制度は軍事組織の機能を発揮しやすい前提条件をつくるように組織されなければならない、ということであった。
 そしてもう一つの命題は、戦争の目的が自己の意志を敵に強要することであり、したがって、軍事作戦は統一された指揮のもとに決定的な戦いに至るように計画された作戦でなければならない、というものである。
 マキャヴェリの戦争の本質や、社会構造の中での軍事制度の役割に対する洞察は、彼の軍事思想の基盤をなしている。これらの疑問が提起する問題は、特定の歴史的時代に限定されるものではない。その後、軍事思想ははるかに進歩したが、そのより近代的な結論はマキャヴェリが始めた研究の論理的な継続であった。

 現代軍事思想との対照

 一方で現代軍事思想にはマキャヴェリの思想と明確な対照をなしている部分がある。
 マキャヴェリ全ての国家やあらゆる時代の軍事組織に有用な一般的基準に関心を払ってきた。しかし、現代軍事思想は、軍事制度は個々の国家の具体的な構造や状態に適合する場合のみ満足され得ることを強調している。

 軍事の合理的要素と非合理的要素

 また彼は、合理的で一般に有効な法則に従う軍事制度の確立と戦争の遂行を強調したことで、軍事問題の合理的要因に大きな比重を与えている。
 その一方で、現代では合理的要素以外のものの重要性が認識されだしている。この新しい知的傾向、すなわち独特さや個性の重要性の把握、科学以外の創造的・直観的要素の認識を軍事理論に導入することは、クラウゼヴィッツの名前と結び付けられる。

 マキャヴェリを評価したクラウゼヴィッツ

 しかし、彼もマキャヴェリの示唆に対しては非常に慎重に検討しただけでなく、「(マキャヴェリは)軍事に対してきわめて健全な判断をしている」と認めたことは注目されるべきである。マキャヴェリのように、クラウゼヴィッツ軍事問題の特殊な分析の妥当性は、戦争の本質についての一般的認識、正しい概念によって得られると確信していた。クラウゼヴィッツでさえも、マキャヴェリの基礎的な命題を無視せずに、彼自身の理論の中に組み入れたのであった。
 
 

 番外編ー用兵思想家たちの言葉

マキャヴェリ

「イタリアで起こったさまざまな戦役や反乱が、軍事能力はすでに消滅したかのような印象を与えたとしたら、その真の理由は古い戦争の方式は役に立たず、さりとて誰もまだ新しい戦争の方式を発見できないからである。新たに権力の座についた者にとって、新たなルール、新たな方式を発見する以上に評判を高める方法はない。」君主論

 

「戦争になれば生命が危険にさらされる軍人以上に平和を愛好する者があるのであろうか?」(戦術論)
 
(戦争の成功に不可欠の前提条件である信頼と規律は)「軍隊が同じ国の国民であり、ある期間とともに生活した人々である場合にのみ存在し得る」君主論
 
「よく武装されている国には良い法律がなければならず、良い法律がある国には良く武装されていなければならない」君主論